創価学会破門の経緯を知ろう その44

前号に続き、「創価学会破門通告書」の「第五の(二)」を掲載。

さらに、昭和四十九年六月十八日付の「北条文書」には、「宗門の件」として、「長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。(中略)やる時がきたら、徹底的に斗いたいと思います。」と、宗門から独立せんとする謀計が記されております。

これらの学会内部文書から判るように、要するに、創価学会では、当時、「学会が主、宗門が従」という傲慢な考えから、実際に宗門を公明党や創価大学などと同様の外郭団体として、創価学会の支配下に置くか、それができなければ日蓮正宗から独立しようという、謀略を廻らしていたのであります。

昭和五十四年十一月、この文書が明るみに出たとき、当時の創価学会の責任者が総本山へ登山し、「今後は、宗門の永遠の上において、宗門をお護り申し上げ、かかる誤りというものを、今後、行なうことはもちろん、考えることも絶対にない」と深く陳謝し誓ったのであります。

そのため、ひとたびは、法主としての慈悲の上から、これを信じて許すとともに、多くの僧侶に対しても、この旨を述べた上で、「もちろん、今後も、もしもそのような兆候が万が一にでもあれば、直ちに、その団体乃至その責任者に対して、どこまでもその誤りを糾し、そしてそれを改めざる限りにおいては、はっきりとした処置というものも考えていかなければなりません」と、再びこのような問題が起こったときの宗門の対処についても、明確に示したのであります。

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