創価学会破門の経緯を知らない方へ その24

平成5年、正信会が猊下に対し起こした裁判など、同会関連の訴訟が収束した。正信会による不法占拠寺院は、占拠者が死亡、その他の事由で欠けた時点で宗門に返還されることとなった。

遡り、五十二年路線が収束後の創価学会は、日達上人の協調路線を踏襲された日顕上人によって擁護される形で推移した。それは池田創価学会の反省懺悔を信頼されたからに他ならなかった。日顕上人は、大石寺開創七百年を記念し二百ケ寺の建立寄進を願い出た池田の反省の心を汲まれ、昭和59年1月2日、池田を再び法華講総講頭に任じられた。

しかし総本山開創七百年の大法要を目前に控えた平成2年7月、突如として創価学会は宗門攻撃を開始した。常泉寺における宗門・学会との連絡会議の席上、冒頭よりそれは起こった。(次回 連絡会議の様子とその後)

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