創価学会破門の経緯を知らない方へ その21

第67世日顕上人が創価学会との僧俗協調路線を推進される中、昭和55年4月、池田氏は「恩師の23回忌に思う」と題する所感を聖教新聞に発表し、逸脱路線がすべて自分の指導の誤りによるものとして反省懺悔を示した。

しかし宗門内部において創価学会を批判する若手僧侶グループが、日達上人時代より学会を脱会して寺院の檀徒となった信徒を糾合し、学会批判を煽動していった。「正信会」と自称する彼らは日顕上人の代になっても、協調路線の方途を示す「院達」に従わず、昭和55年1月の第四回大会までが継続された。

これに対し日顕上人および宗務院は再三注意と戒告を続け、ついに第五回総会を中止する警告を発令するにいたった。しかし同会はその一切を無視し、55年8月24日、東京武道館において大会を強行したのであった。(次回 正信会僧侶らへの処分)

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