創価学会破門の経緯を知らない方へ その17

池田会長はついに4月24日、会長職を勇退し、また同月26日には一切の責任をとって総講頭職を辞任した。

当時のことについて池田名誉会長は、昭和55年4月2日、『恩師の二十三回忌に思う』と題した所感の中で、「私が展開した昭和52年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります」「昨年4月24日、私が会長を勇退し、合議と協調を基調とした新会則を制定し、規則の改正を図り、そのもとに、北條第4代会長の体制が誕生したのも、安定路線を具体化するためのあらわれの一つでありました」と聖教新聞に述べている通りである。

池田氏の勇退および辞任から数日を経た昭和54年5月3日、創価学会では、日達上人御臨席のもと、北條新体制になってはじめての第40回本部総会が、創価大学において開催された。(次回は日達上人の御指南による学会問題の収束)

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