創価学会破門の経緯を知らない方へ その12

創価学会の教義逸脱に対し、昭和53年6月19日、宗門より学会へ三十四箇条の質問書が提出された。同年6月29日、総本山において教師指導会が開催され、質問に対する学会からの回答が発表された。

翌6月30日、学会は聖教新聞に宗門からの質問に対する回答を掲載した。これがいわゆる「6・30」である。ただしこの紙面では、宗務院からの質問は掲載されず、回答だけが「教学上の基本問題について」という形で掲載された。しかし、その内容は不明瞭で、会長である池田の責任を明らかにするものではなかった。したがって一般の会員には、ことの本質がまったく不明のままであった。そのためこの是正は基本路線となったが、学会組織の中では徹底されなかった。

この展開により、同年11月の池田と幹部二千名による、通称「お詫び登山」と続く。

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