昭和59年、池田大作は…

昭和59年、池田大作は、52年教義逸脱等の問題に対する反省の意を表するとして、大石寺開創700年を記念して200ケ寺を建立寄進する旨、日顕上人に願い出ました。これを受け日顕上人は池田の反省の心を汲まれ、池田を法華講総講頭に再任されたのです。

その後、池田は宗門への恭順を装っていましたが、平成2年11月16日ついに増上慢の本性を露わにし、全国の学会員に対し衛生放送をもって、法主誹謗や宗門蔑視をはじめ、昭和53年の「お詫び登山」における反省懺悔を反故にするスピーチを行なったのです。それは法華講総講頭にあるまじき内容でした。

これに対して宗門はその真意を確かるべく努力しましたが、学会は返って敵意を露わにし、その後の破門に至るのです。現在にいたるまでの経緯を正しく知るため法遍寺をお訪ねください。(続きは次号)

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