「昭和52年教義逸脱問題」

「昭和52年教義逸脱問題」の収束はどうだったのか。当時、この問題に対し宗内僧侶を中心として学会批判の声が全国的に広がり脱会者が続出し、池田大作は創価学会の崩壊を危惧し、日達上人に謝罪し事態の収束を願い出ました。

昭和53年6月30日、教義逸脱に関する訂正文が発表され、さらに学会による御法主の允可のない本尊模刻問題が発覚し、同年9月、学会は七体もの模刻本尊を総本山に納めました。

そして同年11月17日、学会は2000名の幹部によるお詫びの登山をし、大会の席上、池田は宗門に対し謝罪の言葉を述べたのです。

その後池田は責任を取り、昭和54年4月、創価学会会長と法華講総講頭の職を辞任し、これを受けて日達上人は、 同年5月、学会問題の収束を宣言されたのです。

このような歴史的事実があっての今、学会がさらに日蓮正宗の信仰から逸脱しているかを知ってください。

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