白蓮華第13巻第12号(大正7年12月7日発行)

再び時事に鑑みて 日柱上人

予は、本誌前々号に、『時事に鑑みて』てふ一篇を掲載し、其の文中に、大聖人『立正安国論』に、『大集経』の三災を引証し給へるを、また引用して、時事に付て聊か愚見を披陳したりき。
其の三災中の第三疫病の事に至ては、人心に関する疫病ある事を略述せり。然るに疫病はそれにとどまらずして、世界感冒なる風邪流行し、殆ど全国人を風靡し此の風邪に冒さるる者、既に大半を超へ、死亡者続出すと云へり。啻に我国のみならず、世界各国皆然らざるはなしと。従来疫病と云ふと雖も、其の流行区域は多分は一国二国に止まりしが、這回の如く、世界一般と云ふが如きは、蓋し未曽有の事と謂ふべし。乃ちこれ瘴癘〈しょうれい〉の悪気世界に弥布して、世人を悩ますものなるか。而かも瘴癘の悪気の弥布せるは、悪鬼便を得たるの徴相にあらざるなきか。衛生上予防法の如き、多少効能はありたらんも、悪気伝染の迅速なる、実に予想の外に在り。其の惨、言語に絶す。
予は、所引の文意が眼前に顕現せるを以て、得意とする者にあらず。頗る国人のために憂ふるなり。何んとなれば、凡そ災厄の顕現するは、其の顕現すべき所以ありとは、我が宗祖大聖人の『立正安国論』の旨意なればなり。若し然れば、其の災厄が、唯だ其の当時のみの災厄にして終息せば、不幸中の幸として、将来の患となすべきにはあらざれども、或はそれ更に来るべき災難の前徴にはあらざるなきか。例せば、『立正安国論』に、天変地夭及び其の他の災難を挙げて、更に来るべき他国侵逼難・自界叛逆難の前徴となし給へり。則ち曰く、「徴前に顕はれ災ひ後に致る」(『立正安国論』242)と。今や世界の大戦乱は、休戦となり、又た更に講話談判も将に開催せられんとし、平和克復は近きにあらんとするに際して、国民は、種々なる方法にて祝意を表し、連合各国に於ても、亦た然りと云へば、よもや今後数年若しくは十数年の間には、国難の来るべしとは、何人も予想せざる所なるべし。否な、斯くの如き不祥事のあるべしとも思はざるなり。誠に四表の静謐を希ひ、国家の安全を祷るは、国民の衷心より欲する所たらずんばあらず。予の如き草莽の微臣と雖も、休戦に対し、又た平和克復に対し、祝福の誠意を表することは、敢て人後に在る者にあらず。而かも亦た毎日必ず宝祚無窮、天長地久を至祈至祷して怠らざるなり。 されど翻へて、思ふに、此の大戦争に依て、敵、味方の壮丁を殺せし事、幾十百万に達すと言へり。何ぞ惨憺の甚だしきや。彼等の英霊各々決する所ありて、其の国難に殉ぜし者なれば、まさかに申有に迷ふとは思はざれども、若しそれ怨念一団となりて、彼の悪気に便を得て、世人を悩ます事なしとするも、同情を以て彼等の冥福を祈るは、生存者たるものの人道にあらずや、況や「慈眼視衆生」の慈悲にあらずや。
而して慈眼視衆生の視線を、又た一面にそそぐべきなり。そは予がさきに列挙せる如き、人心の病症あることこれなり。其の毒気蔓延の徴候ある事は、識者既に之を患ふ。彼の感冒の悪気が、迅速の勢ひを以て人心を冒せる如きは、これ或は其の前表にあらざるなきか。
『立正安国論』に曰く、
 具に事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや。(249)
若し幸ひに事なきを得ば、国家民人の幸福なり。然れども人心の欠陥は、機微の所に潜む、誡めざるべからず。
我が宗祖大聖人の当時に在ては、重に諸宗の悪法が、国家災難の因由なりしが、今や此の悪法と並びて、世に一種の危険思想なるものあり。此の思想は、君臣の大義を破滅し、固有の元気を消耗し、乃ち知恩報恩の要義に背くものなり。亦たこれ立正安国の大定規を以て律するときは、破国の因縁たらずんばあらず。若し然れば大ひに折伏を加ふべきなり。
要は立正安国の大経道を、人心に徹底せしむるに在るなり。(完)
本年も早や歳晩に臨み、年内余日も少なし。謹みて読者諸君の健康を祝福し、目出度く、新春を迎へられん事を希ふ。尚ほ新年号より更に筆硯を清め、諸君に見へんとす。諸君希くは、健在なれ。

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