人として生まれた感謝と信心

人は「あたりまえ」と思っていることが幾重にもある。「有難し」の心持ちがなければ感謝の心、知恩・報恩の念は到底なくなる。私たちが忘れている最第一は、人として生まれてきたこと、生きているということである。

大聖人は仰せになった。「人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。」(御書 1173)と。妙法の信仰に励み、仏法の原理を知っていくならば、「人間に生まれたばかりに」などという不知恩の言葉は出てこない。まず感謝すべきは人として生まれた事実である。これを忘却しなければ人としての原点を踏み外すことはない。そして家族も他人をも大切にできる。人と生まれて大聖人の仏法を知った自分があり、人として生まれた
からこそ人を妙法の功徳の中に導く自分になれるのである。「心の財第一なり」(同頁)の人生を歩んでまいろう。

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