魔を打ちやぶる唱題に徹しよう

我々の生活から四苦八苦は離れない。信仰が甘い人は、嫌なことがあると、すぐに疑いを持つ。法華経に説く「魔」とは成仏をやぶる働きである。嫌なことどころの話ではない。

大聖人は、信心の甘い池上宗長に仰せになった。「千年の苅茅(かるかや)も一時に灰となる。百年の功も一言にやぶれ候は法の理(ことわり)なり」(御書1183)と。累徳を灰のごとく瞬時に失い、積功を徒労せしめる信仰でよいのか。

さらに大聖人は「三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退く」(同1184)と宗長を戒められた。仏法を知る篤信の人は難にあうを喜び、魔を唱題でやぶり、結果、法悦の人生となる。目先信心の人は信仰を捨てて、ひたすら苦の境界に帰すのである。

この仏法に裏ぎりはない。「苦」を「徳」に転ずる唱題に徹しよう。

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