「仏の三徳に応える信心」

大聖人が流された涙の意味を考えるだろうか。諸法実相抄には「鳥と虫は鳴くが涙は落ちない。日蓮は泣かないが流す涙に暇はない」(御書667 趣意)と示される。
涙にも色々あるが、それら世間の涙は四大海の水よりも多い。しかし妙法を弘通するために涙を流す方は大聖人を除いて存在しない。この涙は、命に及ぶ大難を我が身に受ける法華経の行者としての「喜びの涙」であり、同時に私たち愚痴の凡夫の深い罪障を思う「慈悲の涙」なのである。

信心を持つ者、末法の御本仏が一切衆生を命がけで救済せんと注がれる「甘露の涙」に合掌し、お題目を唱えさせて頂くべきではないか。慈悲の広大なるは「親の徳」、私たちの盲目を開かしめるは「師の徳」、無間地獄の道をふさぐは「主の徳」、この御本仏の三徳に応える信心に徹していこう。

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