「仏道の原点はお給仕の姿勢にあり」

 「法華経を我が得しことは 薪こり菜つみ水汲み仕えてぞ得し」という古歌がある。妙法の信仰は、唱える以外にも実は重要な要素がある。「身口の二業は意業より起こる」(御書1751)と仰せのように、信仰とは心(意)の領域であると同時に、口と身による行体の実践によって信が成立し功徳となるのである。

法華経には、釈尊が過去世に王位を捨て、阿私仙人に対し千歳という長時にわたる給仕をなし、その功徳で仏となったことが説かれる。大聖人はこれを釈され、妙法を唱える所に千歳給仕の徳が生じ、煩悩浄化の実証があると仰せである(御書1757)。勤行や唱題がその人の迷妄を開き、奉仕や給仕の心となって表われるからだ。

我々の千歳給仕とは、御宝前を清め明朗なる勤行・唱題に努め、寺院を念い参詣と厳護をなし、広布をめざし確信の折伏を実践することであろう。

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