「俺の目を見ろ…

「俺の目を見ろ、何もいうな」などという男らしい言葉を使ってみたい。姿や振舞いに現れる様を「如是相」という。夫婦の目はなぜか似ている。実に不思議である。

大聖人は妙法尼という強信者に対し、次のような御指南をされた。「人の身は五尺、六尺であっても、魂は一尺の顔に現れ、一尺の顔に現れている魂も一寸の眼に納まっている」(御書1243頁趣意)と。

南無妙法蓮華経は一句、一偈の姿であるが肝心、つまり仏の魂である。題目には法華経の文字が一字も欠けずに納まるゆえに仏法の眼目であることを譬えられたのである。

大聖人は功徳のことを「おおきなるさいわい」と読まれた。勤行と唱題は、必ず身の徳の姿として、その人のありのままの姿として現れる。確信の唱題に励もうではないか。今月は唱題月間である。進んで参詣に志そう。

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