私たちには自身を…

私たちには自身を益することのみを思い、言い、行なう側面がある。

大聖人は南条殿に自らのご生涯を顧みられ「日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり」(御書 1361頁)と仰せになられた。仏の慈悲を改めて拝し合掌したい。

慈とは喜楽の因縁を示し楽を与え、悲と難苦の因縁を説いて苦を除くという意である。大聖人は南条殿に深く心に銘記すべき指南をされた。それは「逆縁の人」を「善知識」と捉える心もちである。逆縁とは仏法に反発する境界をいい、不信かつ仏法を悪む心である。

私たちの真如の命を覆うのは「無智」と「愚痴」である。唱題の功徳は真如たる素直な心を呼び起こし、陰蓋する煩悩を転じて「順善」と「明智」を開かしめる。日々真剣な勤行唱題を積み、歓喜と慈悲による折伏に邁進しよう。

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