大聖人は妙心尼に対するお手紙の中で…

大聖人は妙心尼に対するお手紙の中で、題目の妙の一字の姿は仏であるが、凡夫はそれをただの文字としか見ることができない。それを譬えると、池の蓮華が果実を所持している姿や、暗闇の人影が見えないのと同じである。妙の字を仏と見ないのは、私たち衆生が見る眼をもたないからである。信心の眼を開かなければ妙の仏の姿を知ることはできないと御指南くださっています。

妙の一字は如意宝珠(にょいほうじゅ)です。これは意のままに無量の宝を取り出すことのできる宝珠のことです。御本尊に向かう勤行唱題は、自らの命にある無量の宝を引き出してくださいます。

大聖人曰く、「さいわいは心よりいでて我をかざる」(十字御書・御書1551頁)と。

如意宝珠の伝持者として折伏行に精進し、広布のお役に立ってまいりましょう。

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