法遍寺沿革

 法遍寺は、もともと当地域一帯を受け持っていた瀬戸市の天晴寺が自称正信会によって不法占拠されたことを受け、同寺の法華講員および地域信徒の新たな参詣依処となる大石寺尾張旭出張所·法遍院として開所されたことに始まります。当初は百十坪の境内に、三十五畳の本堂と八畳の控え室、そして庫裡が一階と二階にそれぞれ一部屋ずつという規模からの出発で、開所した年に教会となりました。
 初代主管に就任された秋山堅栄御尊師(現福岡県·法恵寺住職)は、 二年後に御宝前の改修と併せて、御宝前の裏に二畳余りの納骨室を増築し、また同年に庫裡の一階·二階ともに一部屋ずつの増築を行い、さらに昭和六十一年には隣接する百九十五坪の土地を取得するなど、寺域の拡充に努められました。
 平成二年には第二代主管の磯村如道御尊師(現静岡県要行寺住職)が就任し、同六年には第三代主管として南原評道御尊師(現大阪府·本教寺住職)が就任され、六畳間が増築されるなど、歴代主管により地域広布の進展と寺門の発展が図られました。

お隣の「スカイワードあさひ」よりの眺望。中央下に法遍寺。


 特に当院は、当初より建物自体が手狭であったことから、早い段階より新築へ向けての青写真が描かれていましたが、計画が本格的に始動することになるのは、平成十七年に就任した第四代主管にして現御住職の近藤道正御尊師の代になってからのことです。
 着任早々に「寺院建立準備委員会」を立ち上げて大事業へ向けての検討を重ね、同十九年には庫裡一階に二部屋、二階に四部屋の新築が成り、翌年には二階建てからなる堂宇が完成しました。その二階部分は内陣十二畳を含む九十二畳の本堂、一階には玄関をはじめ三十畳の広間と八畳二間の客間、さらに信徒の便宜を考慮してエレベーターが完備されるなど、機能性に富んだ壮麗な堂宇であり、同年十二月二十三日に、御法主日如上人貌下大導師のもと、法遍寺本堂·庫裡新築寺号公称落慶入仏法要が盛大に奉修されました。そして、法要当日に披露された追加工事の予告通り、その後も本堂が折上げ格天井へと改修され、本堂の窓には大型のアルミ製格子戸を設えるなど、堂宇内外のさらなる荘厳と整備が実施され、現在に至っています。
 現在、法遍寺には、市内はもとより瀬戸市や名古屋市などの周辺地域に在住の四百五十余世帯の法華講員が所属しており、御住職の御指導のもとに異体同心し、誓願達成および御命題の実現へ向けた積極的な講中活動を展開しています。

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