法遍寺講中の皆さまへ

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真心の唱題で仏の慈悲に報いる境界を築く

人は褒められるような功績があるとつい有頂天になる。大聖人はご自身には「三度のこうみょう(高名)あり」(御書867)と仰せになった。このお言葉は、三度にわたる国家諫暁にて、幕府の内乱や蒙古襲来などをすべ...
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折伏とは人への施しの力

私たちは生きる力を頂いて生きている。 大聖人は富木殿の夫人に一通のお手紙を差し上げた。そこには「矢が飛ぶのは弓の力により、雲のゆくは竜の力、男の働きは女の力による」(御書955)と富木殿の下総(千葉)...
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蘭室の友に交わりて麻畝の性となろう

お会式での立正安国論のご捧読にて、「汝、蘭室の友に交わりて麻畝の性となる」(御書 248)とある。「蘭室の友」とは高徳の人のことをいう。 香りの高い蘭の部屋にいると、その香りが自然と体に浸透するように...
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我が生命の尊厳を顕すは成仏にあり

「つもり」という言葉がある。塵も積もれば山となるが、人間の「つもり」だけは何も積もらない。 大聖人は若干二十歳を過ぎたばかりの青年地頭の南条時光殿に対し「人々を成仏に導く仏の教えとは、動かない車輪には...
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