いかなる垢で汚れた身といえども…

いかなる垢で汚れた身といえども、御本尊の前にあって発誓して妙法信受の道に入れば、大成仏の道が開かれます。

しかしながら懸命な勤行・唱題・折伏に励んでも、その人相応の苦悩があります。その苦悩を幸せに変えていくには、人生の中心に広宣流布の大願を忘れない信心が大切です。ここに身を置くか否かですべては決まります。

ところで皆さん、御書を拝してますか?御書を理解しようではなく、自分の心中深くに留め焼き付けようという心根で拝してください。

そして毎月の御報恩御講へ参詣して功徳を積み、素直な信心を実践しましょう。お待ちしております。

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