白蓮華第15巻第2号(大正9年2月17日発行)

疫病流行に就て 日柱上人

大正七年の末より八年の春にかけて、世界感冒なる疫風流行し、それに罹〈かか〉れる者、算なく、死亡者幾千万人と注せらる。依て予は曾て御書の明鏡を掲げ、以て所見を披陳したりき。然るに本年に至て、亦た前年にもまさる悪症の感冒流行し、患者続出、殪〈たお〉るる者、日に幾百千人と称す。鳴呼悲惨、転〈うた〉た同情に堪えず、故に復た一言なかるべからざるなり。
弘安元年の頃、疫病流行せるに付き、大聖人、檀越に示して曰く、(『中務左衛門尉殿御返事(二病抄)』一七三八)
 夫、人に二病あり。一には身の病。所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上四百四病。此の病は治水・流水・耆婆・扁鵲等の方薬をもって此を治す。二に心の病。所謂三毒乃至八万四千の病なり。仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし。何に況んや神農・黄帝の力及ぶべしや。又心の病に重々の浅深分かれたり。六道の凡夫の三毒・八万四千の心の病をば小乗の三蔵・倶舎・成実・律宗の仏此を治す。大乗の華厳・般若・大日経等の経々をそしりて起こる三毒・八万の病をば、小乗をもって此を治すれば、かへりては増長すれども平愈全くなし。大乗をもて此を治すべし。又諸大乗経の行者の法華経を背きて起こる三毒・八万の病をば、華厳・般若・大日経・真言・三論等をもって此を治すればいよいよ増長す。譬へば木石等より出でたる火は水をもって消しやすし。水より起こる火は水をかくればいよいよ熾盛に炎上り高くあがる。
 今の日本国去・今年の疫病は四百四病にあらざれば華陀・扁鵲が治も及ばず。小乗・権大乗の八万四千の病にもあらざれば諸宗の人々のいのりも叶はず。かへりて増長するか。設ひ今年はとゞまるとも、年々に止みがたからむか。いかにも最後に大事出来して後ぞ定まる事も候はんずらむ。法華経に云はく「若し医道を修して方に順じて病を治せば更に他の疾を増し、或は復死を致さん。而も復増劇せん」と。涅槃経に云はく「爾の時に王舎大城の阿闍世王○遍体に瘡を生ず。乃至是くの如き瘡は心より生ず。四大より起こるに非ず。若し衆生の能く治する者有りと言はゞ是の処有ること無し」云云。妙楽云はく「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」云云。此の疫病は阿闍世王の瘡の如し。彼の仏に非ずんば治し難し。此の法華経に非ずんば除き難し。(1239~40)
此等の御書、蓋し亦た現今の有様を照し鑑みるの明鏡にあらずや。斯く疫病が、去年よりも今年と、猖獗〈しょうけつ〉を逞〈たくまし〉ふし、一回は一回より、病害の猛烈を加うるは、これ何の禍に由るか。而して其全く終熄するに至るには、右の聖言中に「いかにも最後に大事出来して後ぞ定まる事も候はんずらむ」(1240)と宣へるが如き、最後大事出来に逢着するの前徴にあらざるなきか。若し然れば其の最後の大事とは、果して善事か、将た悪事か、須らく注意誡慎を要すべし。
抑も病を治せんとするには、其の根源を知るを要すとは古来の確言にして、事実も亦た然かなり。されば衛生上、人力の及ぶ限りを尽して予防すべきは、元より当然なりと雖も、若しそれ悪鬼乱入して、人を食するための疫病たるに於ては、唯だ一遍の鼻風として軽症視すべきにあらず。又た一片のマスク或は含嗽等の能く予防し得べき所ならんや。
現今の有様を観るに、国民は、果して身心共に健全なりと謂い得るか。其の多くは、殆んど奢風、驕風、惰風、慢風、邪風、貪風、瞋風、痴風等の悪風に冒されざるはなきにあらずや。然れば又た一種の感冒症に罹れる者と謂ふべし。此等の病因、宛かも此れ大聖人の聖言に「見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此始めなり」(『治病大小権実違目』1238)と宣へるに在るにあらずや。是を以て魔風疫風の茲に便を得て、猖獗〈しょうけつ〉を逞〈たくまし〉ふする。亦た怪しむに足らざるべし。
大聖人示して曰く、(『四条金吾殿御返事』一五四五)
 賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をゝ心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまぼらせ給ふなり。(1118)
而かも亦た世人此の八風に冒されざる者、果して幾許かある。斯くの如く世人はなんすれぞそれ悪風に冒され易きや。斯くして最後大事出来を招致する如きは、甚だ心なき所為〈しわざ〉なり。宜しく定業能転、転禍為福の要術を施すべし。唯だそれ尋常一様の処方にては、却て「定業の者は、薬変じて毒となる」の聖言に該当するの虞れなきにあらず。
抑も身心健全たらしむるは、乃ち身心の二病を防ぐの要法なり。其の健全と云ふは、先づ純正の信念充実にあるなり。若しそれ信念充実せば、身心共に健全にして魔風悪風の冒すべき余地ある事なけん。
 『四条金吾殿御返事』 一八一八 に曰く
 摩訶止観第八に云はく、弘決第八に云はく「必ず心の固きに仮って神の守り則ち強し」云云。神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候。法華経はよきつるぎなれども、つかう人によりて物をきり候か。(1292)
『立正安国論』に曰く、
 汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。(250)
故に要する所は、国民の純正信念堅固たるに在り。然るに目下又た前の諸病にまさるの重病ありて、人心に浸染せんとす。三正一貫の正道を罔〈な〉みするの邪教則ちこれなり。これを大謗法の重病と名く。大聖人嘗て教示して曰く、(『妙心尼御返事』一七六六)
 今の日本国の人は一人もなく極大重病あり、所謂大謗法の重病なり。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言師なり。これらはあまりに病おもきゆへに、我が身にもおぼへず人もしらぬ病なり。この病のこうずるゆへに、四海のつわものたゞいま来たりなば、王臣万民みなしづみなん。(900)
と宣へるが、今やまさに外来の邪教なる大謗法の重病其一を増せり。此の重病恰かも「あまりに病おもきゆへに、我が身にもおぼへず、人もしらぬ病なり」(900)と宣へるが如きもの、これが種々に変化し来りて、人心を毒惑し、下剋上、背上向下、破上下乱なる危険症の大重病となる、此の病のこうずるとき、終に国家を亡滅にさずんば止まざらんとす。これが防止の方法、決して油断すべきにあらず。如上の諸病、大謗法の重病、これを退治するの大妙薬は、唯だそれ大聖人方剤の妙法丹あるのみ。(完)

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