御本仏の慈悲の偉大なるに応える信心

何かの「誓い」が人生の方向を変える。仏教でいう「誓願」の意は、成仏のため誓いを立てて神仏に祈願する修行であり、また衆生の苦しみを救わんと固く誓うことである。

大聖人は一切衆生を救う大願を立てられた(御書572)。それはいかなる法難がわが身にかかろうとも、法華経の行者たるを貫くことである。「法華経を捨てるならばこの日本国の位を譲ろう」と、また「念仏を唱えなければ父母の頸を刎ねるぞ」といわれても、断固その誘惑や迫害に屈しないお振舞いを示され、その心中を「三大誓願」として括られた。「我日本の柱とならむ(主徳)、我日本の眼目とならむ(師徳)、我日本の大船とならむ(親徳)」と。これは仏身にそなわる三徳の宣示である。

大聖人の偉大なる慈悲に包摂された私たちは、我が成仏と広宣流布こそが人生の目的と誓願し、仏の慈悲にお応えしよう。

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