創価学会破門の経緯を知ろう その45

〈前号に続き、「創価学会破門通告書」の「第五(三)」を原文のまま掲載する。〉

(三)しかるに、池田氏は、昨年十一月十六日の第三十五回本部幹部会において、「五十周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々にやられ、正信会から。馬鹿にされ、そいでその上北条さんが『もう、お先まっ暗ですね。』『何を言うか、六十周年を見ろ。もう絢爛たる最高の実が、六十周年が来るから元気だせ。』会長だから、これがよ。私は名誉会長だ。『そうでしょうか。』馬鹿かー。」と発言し、また森田一哉氏は、本年三月十八日の杉並ビクトリー勤行会において、昭和五十二年路線当時と現在とを対比し、「十年前は堂々とできなかった。一言も言えなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている。」と発言し、さらに最近では、柏原ヤス氏が、本年十一月二十六日付『聖教新聞』紙上において、「今の宗門をみていると、結局、十数年前も同じね。あの時、学会は一歩譲って宗門のいう通りにしたけれど、あの時も学会は正しかった。」と発言しております。これらの発言をはじめ、最近における創価学会の宗門に対する攻撃は、まさに「山崎・八尋文書」「北条文書」等の、「宗門支配か、しからずば独立か」との野望を、そのまま密かに懐き続け、機会を窺っていたことを示すものであり、昭和五十二年路線の反省が、まさしく欺瞞であったことを証する、無慚無愧の著しい背信行為といわなければなりません。

(次号で破門通告書の掲載は終了する)

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