日々弛まぬ信心のもと、妙法広布のお役に立とう


道歌に「気もつかず 目にも見えねどいつとなく ほこりのたまる袂なりけり」とある。気がつかず蓄積することの怖さを言い表したものである。

大聖人は「月々日々につよ(強)り給へ、すこしもたゆ(弛)む心あらば魔たよりをう(得)べし」(御書1397)と仰せになった。「たゆむ心」は成仏を妨げる懈怠謗法である。ここに奪命魔、奪功徳の魔が、そっと忍び寄る。そしていつしか我が住処としてしまう。惰性に流された日々には信心の感激も感謝もなく、勤行も疎かに、また寺院に足を運ぶ気概もなくなってしまうのである。

私たちには一生成仏という大目的がある。これを達成するには何が必要か。それはこの仏法に心底から南無すること、即ち帰依し命順することである。一生空しく過ごして万歳を悔ゆることのなきよう、仏道の実践を通し、さらに妙法広布のお役に立ち上がろう。

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