正しい仏教への信仰を知らない方へ(退屈の意味を考える)

「退屈」といえば、暇をもてあます、暇であきあきする意味で使われる。本来の意味は文字どおり、退き屈する、退却する意である。これは仏道を求める心がくじけ、また仏道修行の困難さに負けることからきている。

法華経では、妙法へ帰命する信仰を仏道とし、信仰の生活はそのまま人生であると説く。人生も仏道なのである。生活に振り回される生活なのか、仏道を基盤とする人生にするのかで、同じ人生に大きな違いが生まれる。

退屈は人生を放棄する境界なのである。人生は火宅の中に身を置くがごとく厳しいもの。法華経が教え示すものは、妙法への信仰のもと不退不屈の精神で人生に臨むとき、我が生命の尊厳や価値がおのずと表われる不可思議なる功徳なのである。妙法の種を自身に植え、善根を成長させるべくお待ちしている。

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