創価学会破門の経緯を知らない方へ その13

昭和53年6月30日の聖教新聞における逸脱問題の是正は、以後における学会存続の基本路線となったが、現実組織の中でこれは徹底されなかった。

脱会者が続出する中、学会は昭和53年11月7日、総本山大講堂において幹部二千名による「創立48周年記念登山代表幹部会」を開催した。これには日達上人をはじめ全国の宗門僧侶も出席した。この登山会合の目的は、学会がこれまで宗義の根幹をないがしろにし、独立の教団として突き進んだ誤りについて謝罪の意を表明するにあった。これを通称「お詫び登山」という。

ここでは、学会や池田個人に下付された紙幅の御本尊を勝手に模刻して板本尊とし会員に拝ませた事件(8体)に関しても、辻副会長の口弁によって謝罪がなされた。(次号では北条理事長、辻副会長、池田会長の反省陳述の要旨を掲載)

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