創価学会破門の経緯を知らない方へ その11

前回に続き創価学会の52年路線の逸脱は、「寺院軽視」、「僧侶蔑視」が挙げられる。学会は、寺院と会館を同視し、さらに進んで現在の真の道場は会館にあるとして、会館で幹部が導師となって結婚式や法要まで行ない、在家も供養を受ける資格があると言い出した。また寺院への参詣はしてはならないとか、学会員こそ僧宝であるして下種三宝を破壊し、学会員こそ現在における出家であるなどと言い出した。

これらの教義逸脱に至る本質は、当時の池田会長の大きな慢心と野望であり、「学会は主、宗門は従」とすることであった。昭和53年6月19日、これらの問題について、宗門より学会へ三十四箇条の質問書が提出された。宗務院は6月29日、総本山において教師指導会を開催し、それに対する学会からの回答を発表した。(次号は6・30に続く)

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