創価学会破門の経緯を知らない方へ その7

昭和39年5月開催の第27回本部総会にて正本堂の建立寄進が打ち出され、昭和47年10月、正本堂は建立されました。その折、池田氏は、正本堂を「日蓮大聖人御遺命の戒壇」であると主張し、それを認めさせるべく宗門に迫りました。未だ広宣流布が達成されてないにも係わらず、「自分がそれを達成した」というのです。

しかし時の御法主日達上人はこれを拒否し、『訓諭』にて、「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」と、創価学会による広布進展の功績を正本堂の意義に含めたうえで、正本堂を、広布途上における本門戒壇の御本尊を御安置する殿堂と意義づけられました。

これに承伏できなかった池田氏は、宗門に対する反感を強め、慢心を増長させ、昭和52年の教義逸脱問題を引き起こすことになるのです。(次回へ続く)

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