創価学会破門の経緯を知らない方へ その2

創価学会のいわゆる「昭和52年路線」という教義逸脱に対し日達上人は、池田・創価学会の反省懺悔を信頼され、昭和54年5月3日の本部総会の席上、これまでの学会問題を収束する意の御指南をされました。したがって、当時の宗門と学会との基本的関係は、反省の意を示す池田の「会長勇退・法華講総講頭の辞任」を原点とします。

しかし、その数年後の池田・学会首脳の姿勢には、この反省が果たして本当だったのか疑わざるを得ないものだったのです。池田の各種会合でのスピーチや学会幹部の指導の中で、御法主上人や宗門僧侶に対する批判が続けられました。この事実は、聖教新聞では明瞭にされないものでしたが、宗務院や総本山へ、多くの学会員から手紙や電話などでその内容が寄せられていたのです。(次号につづく)

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