説法というのは実に…

説法というのは実に難しいものです。ある僧侶が日達上人猊下に説法時の人の少なさについて嘆かれ、それに対し日達上人は、「説法とは衆生教化はもちろんだが、何よりも三宝に対し奉る仏恩報謝の為にさせて頂くものである。昔、日寛上人が説法をされた折、聴聞の衆がない時には、犬や蛇がきたって聴者となり説法を聴聞したというではないか。これを法華経でいう「遣変化人(へんげの人をつかわす)」というのだ。仏の眼を畏れる心で説法せよ」と訓戒されたのです。

仏の慈悲は無限です。変化の人や畜生になってでも法を護り、人を導くのです。聴聞の立場にあっても仏恩報謝の姿勢がその先を決定させます。日々真剣に御本尊に勤行と唱題をし、自分にできる折伏をしていきましょう。私も日達上人の御指南を胸に刻み、非力ながら仏恩報謝の説法に努めてまいる決意です。

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