池田大作は平成 5 年 9 月 7 日のスピーチで…

池田大作は平成 5 年 9 月 7 日のスピーチで、「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇、板御本尊、何だ、ただの物です。いちおうの機械です、幸福製造機だから」と発言しています。しかし、では何故、本尊を信仰の根本対境とし、今現在ニセ本尊を作成し拝ませているのでしょうか。

かつて昭和 40 年発行の「観心本尊抄講義補訂版」で池田は、「この偉大なる大御本尊を、日蓮大聖人は、弘安二年十月十二日にご建立になり、(中略)、日蓮大聖人の仏法の骨髄は、富士大石寺に、脈々と伝えられて、今日に至っている」と語っています。

大御本尊を離れて日蓮大聖人はなく、大御本尊を離れて衆生の成仏はないとする過去の教義はどこに行ってしまったのでしょうか。都合で言動が異なる教団に大聖人の魂は住まわないことを知るべきです。

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