日蓮大聖人の御書に「信心の水すまば…

日蓮大聖人の御書に「信心の水すまば、利生の月必ず応(おう)を垂(た)れ守護し給ふべし」(464頁)とあります。「利生」とは「利益」のことで、「応」とは仏様の慈悲が具体性をもって現れることをいいます。天月がいかに光を出しても、水が濁っていれば影は宿されません。

同じく仏様の慈悲も、それを受け止める側に相応の機縁の器がなければ、慈悲の注ぎどころがなく、施しようがありません。水を清く澄ませるためには、仏様の教えを享受し、自らの信力を強盛かつ清らかにしなければなりません。

濁った水とは、不信・浅識をさします。「自分としてはこれくらいでいいか」とか「自分が思うに仏教とはこういうものだ」というのも、そもそも妙法への不信・浅識からなるものです。

自身の過去・現在の謗法罪障と向き合い、折伏をなして自分と他人一緒の成仏を目指しましょう。

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