私たちは日蓮大聖人の法門を…

私たちは日蓮大聖人の法門を、聞いて、あるいは書物などによって知り、幸福と成仏にいたる原理として受け止めていきます。法門を会得していくことは信心を深めるために必要不可欠ですが、その得た教学や信条を自身の向上と折伏に生かすことが大切です。法門に対する理解も様々なのが人ですが、自身が真摯に仏法の原理を学ぶところ、折伏の際にその教学は必ず生きてきます。折伏は頭でするものではありませんから、要は相手の「ため」になる「仏の教え」を言って差しあげればよいのです。

日蓮大聖人は、新池御書で「有解無信(うげむしん)」(1461頁)の人は、成仏は叶わないと仰せです。何故なら、仏法への理解を折伏に生かさないからです。法門への理解が自身の実践する勤行や唱題、折伏に反映しなければ、その会得した法は成仏の種とはならないのです。信行学の実践から勇躍が始まります。

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