「眼あらば経文に我が身を…

大聖人は開目抄に、「眼あらば経文に我が身をあわせよ」(御書568頁)と仰せです。ここで仰せの眼とは、「心」・「魂」という意味を持ちます。すなわち、法華経に我が心を合わせる信心と生活が大事な旨をご教示です。

末法の今、法華経は大聖人の御書と血脈付法の御歴代上人の御指南を通してのみ、その真意を得ていくことができます。

見ているようで観ていないのが私たちの眼であり心です。高いものを低く、清いものを汚し、弱いものより強いものに迎合し、自分中心の生き方に終始しないよう、真実の心の眼を養うことが肝要です。

そのためには、御本尊に向かう真剣な勤行と唱題が不可欠です。そして御講での御書を通してする住職の法話を心に納め、信心を高め、広宣流布のお役に立ち上がってまいりましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました